2013年御翼5月号その2

ベストを尽くし人が喜ぶことをする

 ケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネル・サンダース(1890〜1980)は、六歳の時に父親を亡くし、母が農場で働いていたため、二人の弟妹のために料理も作り、世話をしていた。初めて焼いたパンを母に褒められたことが忘れられず、料理に興味を持つようになった。子どもたちは、母と毎週教会に行き、嘘をつかず、他人に優しくし、大人になっても酒や煙草はダメ、賭け事も絶対にしない、と母から厳しく躾けられて育つ。更に、仕事に対して常にベストを尽くし、人が喜ぶことをしなさい、と教えられた。彼にとって最大の喜びは、母親に喜んでもらうことであり、最大の悲しみは、母親の期待を裏切ることだった。そして、年を重ねていくに従い、その対象は「母親」から、「多くの人」を「喜ばせたい」へと知恵が増して行ったのである。やがて母が再婚すると、新しい父親は十二歳のサンダースに、学校に行っている間以外は働くよう強要するので、サンダースは十三歳で家を出る。彼は十五歳でサザン鉄道に入社した。当時、若者の九割は機関士になることに憧れていた時代だったのだ。しかし二十歳直前、サンダースは機関士になる前に会社を解雇される。母の躾により、正義感が強かった彼は、会社で組合のためにも一生懸命働き、労働条件や保障をめぐって経営者と積極的に交渉した。そのため、会社にとって煙たい存在となっていたのだ。
 その後も彼はフライドチキンを更に美味しくしようと、九年間かけて今日でも使われている十一種のハーブとスパイスを使ったレシピを完成させた。その間、仕事を手伝ってくれていた一人息子を、二十歳という若さで病のため亡くしたり、店が全焼したりと、苦難を体験するが、「今まで以上に他の人が喜ぶことをしよう」と彼はレストランを再建、五十歳の一九四一年、当時アメリカでも珍しい一四二席もある大レストランを田舎町に完成させた。
 サンダースが六十歳の頃、最大の危機が訪れる。ケンタッキー州にも、州を横断する高速道路が完成した。すると、国道沿いのサンダース・カフェに立ち寄っていた旅行者たちは、その町をバイパスする高速道路を利用するようになり、レストランの売上は激減する。サンダースは、店を競売に出して手放すが、他にも事業を展開して借金も抱えていたため、それを払いきると彼は六十五歳にして一文無しとなった。年金生活は面白くないと思った彼は、「どんなに苦しいときでも神様に敬意をもつことを忘れずに生きていれば、必ず神様が救いの手を差し伸べてくださる」と確信し、あることを発想する。それは、フライドチキンのレシピをレストランに売る、というフランチャイズ方式であった。彼は祈った、「神さま、どうか私のフランチャイズのアイデアを成功へと導いてください。そうしたら、あなたの分をお渡します」と。すると、彼は、レストラン経営者たちのコンベンション(総会)で、ある人物と出会う。若くしてユタ州で最大のレストランを経営するピート・ハーマンである。彼も酒を飲まなかったので、サンダースは彼と真剣にビジネスを語り合えるようになった。このピートが後に、ケンタッキー・フライド・チキンの名を提案、世界初のフランチャイズ店の第一号店となってくれた。六十五歳のサンダースは、唯一残った財産、中古のフォードに圧力釜と秘伝のスパイスを入れた瓶を載せ、一軒一軒レストランを自ら訪ね歩く。費用節約のため車で寝泊まりし、各地をまわった。今や世界の八十カ国に一万店を出すまでに発展するKFCの始まりであった。
 サンダースがイエスを自分の救い主として受け入れ、クリスチャンとなるのは、ずっと後の七十七歳のときであった。キリストに救いを得た晩年のサンダースは、設立してあった基金で、千名の大学生を支援し、病院や教会に寄付することを喜びとし、このために自分は救われたのだ、と語っていた。カーネル・サンダースは、しばしばピール牧師の教会で礼拝をしていた。「何をするにしても、神様が味方してくれないようなやり方をして、うまくいくはずがない。多くの人がこのことに気づいていないのは残念だ」とサンダースは言う。彼のビジネスの発展は、キリストが教えられた黄金律を守ったことによるのだった。彼は数々の功績を称えられているが、カーネル・サンダースのカーネル(大佐)とは、ケンタッキー州から与えられた名誉称号である。そして、ある表象会で会場に、かつて自分をクビにしたサザン鉄道の社長が出席していたので、カーネルはこうスピーチした。「私をクビにしてくれてありがとう。クビになっていなかったら、ケンタッキー・フライド・チキンで成功出来なかったかもしれない」と。そして最後に、「もう一度機関車の仕事をさせてくれたら、全財産を失ってもいい」と頼んだ。サザン鉄道は鉄道保存会と協力し、サンダースのために特別列車を走らせ、その夢を実現してくれた。機関士の格好をしたサンダースは、子どものように喜び、汽笛を鳴らしたという。
 イエス様の教えに従い、母を喜ばそうとした少年時代、そして、より多くの人を喜ばせたいと事業を展開していったサンダースである。そのように知恵が増して行った彼は、神と人とに愛されていた。

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